2014年7月28日月曜日

第2回 原発・いのち フェスティバル in 北広島 演奏終了


昨日は【第2回 原発・いのち フェスティバル in 北広島】の日でした。

花ホール入口前の立て看板


今回も演奏中の写真はありませんので
 原発といのちを考える北広島市民の会のみなさんが準備した会場の様子などをどうぞ ^^
会員さんのお子さんがお手伝い中 ^^ b

開演15分前


 昨年に引き続き、今年もオープニングの場で15分ほどフルート演奏を聴いてもらいました ^^

平和活動でも知られる、カタロニア出身のチェロ奏者カザロスが
 「私の生まれ故郷の鳥はピース(平和)と鳴くのです」と前置きしてから演奏したという
 カタロニア民謡「鳥の歌」を一曲目に。

次に、カラスの山にいる我が子への思いを表現した「七つの子」。
きれいな空気を子供たちに残してあげたいなという思いを込めて。

最後は、会場にいらした60名のみなさんの歌声と一緒に
 「からたちの花」を演奏して終わりました。

普段は伴奏者(Yoっちゃんやwakaさん)が私に合わせてくれるので
 自分の世界観を表現しながら自由に演奏させてもらってますが
 CDの伴奏で演奏はキツイな・・・きっとズレてたと思います ^^ ;


 演奏後は、この会の本題
 江別市在住の元教員・室崎和佳子氏による「チェルノブイリの今~現地を視察して」のお話です。

以下、色つき部分は資料より抜粋させてもらいました。

中央の白い服を着た方が2013年9月14日から10日間掛け
 チェルノブイリ原子力発電所とその爆発事故により多大な被害を被った地域を回って
 撮ってきた写真映像を使用しながら現状を語ってくれました。


視察の一番の目的は
 「ビタミネペクト(セシウム137排出促進剤)」を被爆した小さな村々の6つの学校に届けること。

1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発の爆発事故では
 自国ウクライナより隣国のベラルーシ共和国にたくさんの放射能を降らせました。

第四号炉の爆発によりたくさんの犠牲者が出て、被爆者は被爆物体として扱われ
 死者も故郷に戻さずにモスクワの「墓地」に二重三重に閉じ込めて埋められているそうです。

そして、爆発事故後、被害に遭った70もの村が埋められたらしいですが
 「埋葬の村」の一つを探し歩き、空を見上げると
 村への送電線が切れたままになってぶら下がり、風に揺れていて
 人間は住めないのだという歴然たる証拠がそこにあったとのこと。

「捨てられた街」呼ばれるプリピャチ市は、原発からわずか2㎞で事故があった時
 48時間以内に退避するよう1000台のバスが用意され
 5万人の住民に十分な説明もないまま三日間分の着替えを持たせ退避させたそうだが
 結局は一生帰れないという状況。

ベラルーシ共和国の子どもたちの健康状態を尋ねると
 「このような汚染地域なのだから、健康状態の良いという方が無理。
 すべての子どもたちが病気を持っていて、健康な子どもは一人もいない」と答えがあったそう。

未来ある子どもたちにこんな辛い思いをさせて・・・
廃炉作業は何百年掛かっても完了させて欲しい!

チェルノブイリの今について知ることができました。
もっと生々しい話なども聞けました。

室崎和佳子氏のお話はとってもわかりやすくて、浸透性ある内容です。
機会があれば、ぜひ一度講演会などに参加して聞いてみて欲しいです。


最後に道都大の古谷一貴さんが
 「どんな事でもいいので疑問を持って欲しい。そして、答えを一つ見つけ欲しい。」
 と話していたが、疑問を持つことは興味を持つことに繋がりますよね。

そこが大事なことだと思います!
いのちを大切に、安全に住める街を未来の子へ残して行きましょう。

会のみなさん、参加者のみなさん、たいへんお疲れ様でした。
次もお願いされましたので、来年またお会いしましょう。

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